■文部科学省パンフについて

 

文部科学省は2011年10月、全国の小中高校に放射線に関するパンフを配布した。(写真は小学校のパンフ)

「原発・放射線の真実を教えるために」

生協きたはま診療所医師  聞間 元

 

 昨年(2011年)10月、福島第一原発事故により放出された放射性物質への社会的な不安への対策として、文部科学省は小・中・高それぞれに対応した放射線副読本を作成し、公表した。

 

 この副読本に目を通してみて私が不安に感じたことは、もしこれが教室で使われたとしたら、福島以後を生き抜いて行かなければならない子どもたちからたくさんの質問が出るだろう、それに対して先生方はどのように答えることになるだろうか、果たして答えられるだろうかということである。

 

 例えば、私なりに子どもたちの質問をいくつか想定し、その回答がどうなっているか採点してみよう。

 

 (問)福島原発から漏れて広がった放射能はなぜ怖いのですか? 

 (副読本)放射線が遺伝情報DNAを傷つけること、その遺伝情報が誤っている変異細胞ががん細胞に変わることがあることを伝えていることは。ただし若い世代ほど放射線の影響を受け易いことには触れていないので×

 

 (問)一年以上経ってもまだ家に戻れない人達が多いのはなぜですか?

 (副読本)原発の放射能で汚染されると長期間にわたって高線量の放射線が残る地域があることを全く伝えていないので×

 

 (問)放射能で汚染された場所に、どうしたら安全に住めるようになりますか?

 (副読本)人が住める安全な線量まで放射能を取り除く以外にないことをいっさい伝えていないので×

 

 (問)原発がないと日本は電力不足で困るのですか?

 (副読本)火力や水力に加えて再生可能な風力や地熱発電などの電力源についていっさい伝えていないので×

 

 (問)原発の中で使い古した燃料はどうなるのですか?

 (副読本)放射性廃棄物が多量に出る重要な事実をいっさい伝えていないので×

 

 以上検討した質問への答えはこの副読本では全く不十分なのだが、それはこの副読本の作られた意図を考えると当然かも知れない。子どもたちが本当に知りたいことはさておいて、放射線が私たちの生活にいかに身近な存在であるか、放射線を利用すると医療や産業でこんなに役立つことがある、といったプラスのイメージを押し出すことに多くの紙面が割かれている。

 

 不思議なことにこの副読本では、「放射線の利用」の項で身近にあるはずの原子力発電所のことが全く取り上げられていない。原子力発電所が登場するのは「放射線の管理・防護」の項の中であり、普段から敷地周辺の放射線量のモニタリングが行なわれていることや、非常時には放射性物質が風に乗って飛んでくるのでマスクをして長袖の服を着て退避する必要があること、しかし時間が経てば放射性物質は地面に落ちるのでマスクをしなくてもよくなることなど、非常時の事態をこともなげに記載しているのが特徴である(中学生・高校生用副読本)。

 

 そのようにこの副読本の記載があまりにも福島事故の実態とかけ離れていることに驚くのであるが、副読本を作成した委員会には原子力ムラの人とも思えない学校現場の教師が多く含まれているのはどういうことなのか、私には全く理解できない。

 

 そこで、この副読本の問題点を克服し、放射線や放射能のことを子どもたちに科学的に正確に伝えるためのポイントを私なりに考えてみた。

 

 まず目立つのは、副読本が「放射線による影響」の項で、身の回りにある自然放射線の存在を丁寧に説き、放射線は怖くないと言わんばかりの印象を与えようとしていることである。

 

 自然放射線とは46億年前と言われる地球の生成期から存在したもので、太陽をはじめ宇宙の星雲群に発生源がある宇宙線、そして地殻の構成部分となっているウランやトリウム、地中から噴き出すラドン、岩石や海水、あらゆる生物体内に微量に含まれるカリウム40、そして宇宙線の作用で大気中の窒素から生まれる炭素14などがある。なぜ自然界に放射線があるのか、それは太陽がそうであるように生命体を生み動かす熱エネルギーの源として必要なのである。そして人類をはじめ地球上の生命体はその影響下で誕生し、今日の姿にませ進化した。

 

 だから人類は基本的には自然放射線と共存関係にあると言える。では自然放射線は怖くないのかと言えば決してそうではない。集中的な被曝を受ける宇宙飛行士たちの滞在期間には限度があり、ウラン鉱山労働者には肺がんなどの健康障害が証明されている、人類はその進化の中で自然放射線に曝され、それからの防御力が弱い集団は生存を許されず、子孫を残すことも出来なかったといえる。

 

 しかし、核爆弾や原発などから発生した人工放射線は人類にとって脅威の放射線である。これは全て1940年代になって初めて人類の前に登場したものであり、高々70年しか経っていない。単なる科学的探究から物理学者たちがウランに中性子をぶつける実験を始め出した結果、地球上に野放途にばらまかれ百害あって一利なしの廃棄物である(放射性ヨウ素I-131 は甲状腺がんやバセドウ病の治療に利用されてきたが、それでさえ原発事故の汚染では大きな脅威である)。今話題のセシウム137やストロンチウム90、プルトニウム239などはどうしようもない厄介な核廃棄物である。

 

 ここで子どもたちには、原子炉内でウラン燃料から人工的に生成されたプルトニウムが、人間を大量に殺傷する核兵器、核爆弾の原料となったことを伝えたい。そうすれば素直な子どもたちは、プルトニウムは世界中で製造禁止にすれば!ときっと叫ぶであろう。

 

 そしてこの厄介な放射性廃棄物に出会った70年の間、多くの犠牲者が生まれていること、その脅威に曝された人々が世界中にいることも伝えたい。広島長崎の原爆被爆者、アメリカの核実験場となったマーシャル諸島の人々、旧ソ連カザフスタンの核実験場周辺の人々、さらに25年前のチェルノブイリ原発事故で曝された人々、そして今回の福島原発事故で曝された人々がいることを、知らせておく必要があるのではないかと思う。そしてこれらは本来避けることの出来た「人災」、「国家の過ち」なのである。

 

 また、副読本は人工放射能の影響は同じ放射線線量なら自然放射線と変わらないといって低線量の汚染を免罪しようとするがこれもごまかしがある。人工放射線に曝された人々は日々受ける自然放射線に加えて、加算された余分な被曝をさせられているのである。この線量の加重が直線比例的に遺伝子への影響を増大させているのだから、最大限に避けなければならない。

 

 ところで、この副読本の最大の問題点は、若年者ほど放射線に弱い、放射線感受性が高い(遺伝情報が傷つき易い)という事実に全く目をつむっていることである。この事実は広島長崎でも、ビキニやセミパラチンスク核実験場周辺でも、そしてチェルノブイリでも共通して証明された放射線影響学のイロハであり、編集者たちが意図的に無視したとしか考えられない。

 

 子どもたちへの放射線副読本だからこそ、子どもたち自身が放射線から身を守るように行動しなくてはいけないことをしっかり教えることが大人の責任ではないだろうか。

 

 次に100ミリシーベルト以下の低線量被曝なら安全か、という問題をどう教えるか取り上げてみたい。

 

 放射線の身体への影響の中で、政府御用達の専門家が100ミリシーベルト以下の低線量放射線の影響は「心配ないと言ってよい」、あるいは「まだ良く分かっていない」という言い方をするが、これは科学的に間違った説明である。広島長崎の原爆被爆者のがん死亡率に関する最新の統計調査報告から、ある線量以下では影響なしという安全な『しきい値』は存在せず、低線量に至るまで直線的比例関係にあると考えて矛盾しないとされているのである。このことは、『安全な被曝は存在しない』という大事な放射線防護の根拠になっている。

 

 この点で注目したのは、中学生向け副読本で「がんなどの病気になるかどうかについては明確な証拠はみられていません」と間違った記載をしているのに対し、意外にも高校生向けの副読本ではこの記載がない(もっとも高校生向き副読本の末尾に付け加えられたコラムでは、私たちが放射線を利用して得られる利益のためには、幾らかのリスクは避けられない、それを完全に無くすことはできないと説いているが、がんの発生は『幾らかのリスク』だというのであろうか)。そして両副読本とも低線量域の影響を次のように正確に述べている。

 

 「国際放射線防護委員会(ICRP)は『一度に…、あるいは一年間に100ミリシーベルトまでの放射線量を積算として受けた場合でも、線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて、達成できる範囲で線量を低く保つよう勧告している。仮に蓄積で100ミリシーベルトを1000人が受けたとすると、およそ5人ががんで亡くなる可能性がある』としている。」

 

 すなわち、100ミリシーベルト当たりのがん死亡者は40年間に0.5%余分に増加するという確率であり、20ミリシーベルトならば直線比例的に0.1%の増加になるということで、これが国際基準となっている。

 

 ここで読者のために付記しておくが、このがん死亡率の算出に際しては低線量での放射線の影響を半分に見積もったICRPの基準に対し、ドイツなど欧州の専門家を中心に、過小評価ではないかという疑問が提出されている。もしそうであると100ミリシーベルト当たりのがん死亡率は1%とみなければならないことになる。

 

 そこで、福島第一原発から20km圏内に居住していた8万8千人が累積で100ミリシーベルト被ばくしたと仮定すると、過小だと批判もあるICRP基準の累積0.5%に相当する過剰のがん死者数は、今後四十年間に少なくとも440人になる。この440人の死者に思いを馳せる教育、その人々の死が本来は避けられるべきであることを教える教育を期待したい。

 

 放射線の身体への影響を示す方法は確率的な発生率であり、個から集団に抽象された統計数字でつかむ以外にない。しかしその数字の裏に、原子力発電から産み出された放射性物質のために、生きる権利を奪われた個としての子どもや人間が必ず出てくることを、感情を込めて教えたい。

 

 さらに副読本が無視していることであるが、幸いにして重大な身体的な被害から免れることが出来たにしても、こうした放射性物質による大規模な環境汚染が地域社会を崩壊させ、長い間培われてきた社会の絆、家庭の絆を破壊してしまう事実に目を塞いではならないこともしっかりと教えておきたい。

静岡教育文化研究所通信No.110への寄稿)

 

 

文部科学省の放射線パンフに対しては、さまざまな疑問が出されている。福島大学の教員有志は「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」を独自に作っている。